東北の旅②:釜石を巡る旅
23日に訪れた”創作農家こすもす”で出会った松原さんに、
釜石を案内していただきました。
近代製鉄業の町・釜石の、製鉄所が攻撃を受けた戦時中のことや、
東北を回るとそこここに見受けられる碑=過去の大地震・津波のことなどを織り交ぜながら、
それらの災害を教訓としても余りある2011年の震災を、詳しく教えてくださいました。
地盤の沈下で海面がすぐそばにある町並み(台風銀座の沖縄人としてはぞっとする程の近さです)、
満潮時には溢れて押し寄せる海水、盛土で整地しなくてはならない現状、松原さんの、2ヶ月に及ぶ避難所での生活…
そして、仮設住宅。仮設商店。
一切減ってない。減らすことができない。
アパートや公団を建てようと思っても、進まない。
理由は、土地の準備が追いつかないから。
解説してくださったのは個人的な事情でしたが、なによりも法律が阻む壁のように思いました。
それで良いのかな…。
実は、いち観光客として、どんな態度で、立場で訪れたら良いのか分からないままに実行したこの旅で、
沖縄に訪れる観光客と地元民の温度差に似たようなものを、前日の石巻で感じていました。
地元の人間ではない、来ては帰って行く旅行者の立場で、どこまで踏み込んで良いのだろう?
思い切って投げ掛けた質問に、
「直接来て欲しい」。
そう答えてくださいました。
考えあぐねた末の、真摯なお言葉だったと思います。
熱を込めて案内してくださった場所には、21日に釜石市長が解体を発表した”鵜住居地区防災センター”もありました。
行政と地元住民の意見の相違が招いた悲劇を、そのままの事実として受け止めるように努めなければぶれそうになる感情を抑えて、1階から2階へ。
高い天井近くに残る水面の跡を眺め、力強く説明してくださる松原さんの心中を思い、郷土を愛する強い心を感じました。
「郷土芸能って、ほんとに良いなあ〜って思いましたよ。」
防波堤伝いに車を走らせながら、今夏に再開されたお祭りのことを教えてくださった時の印象的な言葉です。
みんながひとつになれる。
これもまた、希望を生み出すチカラ。
地元を愛する気持ちが、何ものにも変え難いこと。
ホテルに戻って一日を振り返り、”また来よう!”と思いました。
近い内に、また!
海岸近くの建物。左手の3階まで浸水しました。右手の建物は、完全に水没。
震災以来テントで活動していた釜石消防署。
やっと建物の建設が始まっていました。
命を守る消防士の多くもまた、仮設暮らし。
過去を教訓にして作られた世界一の湾口防波堤が、これでも被害を軽減させた釜石。
崩れ流された防波堤の再建が始まっています。
今では仮設の宅地となっている素晴らしい眺望の公園より。
リアス式海岸の様子も、よく分かります。

予定を前倒しして震災数日前の日曜に開通した自動車道。
震災時は、多くの方がここに上って助かり、震災後は物資を運ぶ大動脈となりました。

釜石の飲み屋街が仮設に。30軒余り入っているそう。
”ちょっと酔っ払った感じで〜?”と、お茶目な松原さん(笑)
今回は私、緊張し通しでしたけど、次回はぜひ、一献!!!